ママになってNEWSにハマる。

慶ちゃんと同い年。ただシゲアキを崇めたいだけのブログ。

私のENCORE

2019年。新元号に変わる、この1年の始まりの日。

私はNEWS担に戻ってきたと、確信を得た日になった。

 

NEWSにとって、私たちファンにとって、悲喜こもごもあった昨年。

あの時は感情が複雑に縺れて、自分をここまで落ち込ませてる原因はなんなのか?

単なる裏切りとか失望とか、そんな言葉では片付けられないような

負の感情が自分を支配するのに、とにかく蓋をしてしまうことしか自衛の策がなかった。

理由を紐解いていくと単純だった。

まず、限られた時間と資金の中で、精一杯NEWSファンをしているのに!と卑屈になって、裏切られたような気持ちが根底にあった。誰に命じられてファンをしてるわけでもないのに。

結果、負にしかならない愚痴垢界隈をひたすら読み漁ってその気持ちを増長させてしまったこと。

そして、結婚も出産も自分で選んだことのくせに、それをあたかも足枷のように思って、

独身で身軽に遠征したり自由にオタク活動してる人と比べて被害妄想に陥っていたということ。

人と比べなくてもマイペースに好きでいればいいだけの話だったのに、

ワンオペ育児で疲弊した心にはそんな余裕がなかったんだと思う。

その上、身近な人にその件で毒づかれたり、チケの売買で嫌な思いをしたり、

"ジャニオタでいること"が少しずつ重荷になっていったから、私は考えることをやめました。

シャットダウンする意味で「担降り」という言葉を使いました。

 

思い返せば、シゲを嫌いと思ったことなんて一度もなかったのに。

たくさん、楽しいことがあったのに。

一時的な負の感情が全てを上書きしてしまうという、事件云々より私自身の心の持ちようの話だった。

それでもやっぱり、NEWSの動向はずっと気にしていた。

ツイッターのアカウントを消すことができなかったのがなによりの証拠だった。

味スタのチケットも申し込んではみたものの、不定愁訴も日に日にひどくなり、

遠征かつ野外に耐えられそうになくて手放した。

もう一度、この目で彼らを見ることができたら、本当の気持ちをきっと確認できるのに。

そう、願っていた矢先、カウコンのお知らせ。しかも大阪。

 

お知らせが来た時は、2歳の子持ちの母が大晦日や元日からコンサートに行くなんて不可能…と諦めようとしました。

でも、ツアータイトルを見てすぐに思い直した。

EPCOTIA ENCORE ー

 

5月。大阪で見たあの公演。

あの時の感動は、紛れもなく本物だった。

走馬灯のように過去の好きだった気持ちが溢れて、衝動が抑えられなくなった。

そして無事、チケットを手に入れた。

この目でもう一度NEWSを、シゲを見たい。

あの空間にもう一度行きたい。

日に日にその気持ちは大きくなっていった。

それでも、気持ちの浮き沈みは続いて、またロクにNEWSごとを追えない日が続いた。

 

秋から、仕事を始めた。

子育てに専念していると、社会的承認欲求があまりにも満たされないことに気づいた。

仕事をしていた頃は、毎日家にいれることが幸せだと信じてやまなかったのに、ないものねだりだ。

専業主婦をしていると、今までと比べ物にならないくらい、自分の世界が狭くなっていた。

ママ友らしき人たちと薄っぺらい会話をしなきゃいけないことも、

それをしょうもないと思っている自分も、なにもかも嫌だった。

唯一専業の間、アクセサリー作りを通じて、NEWS担含め、多くの人に必要をされたことは

社会復帰へ踏み出す一歩になったと思うから、その点は良かった。

本もたくさん読んだ。自担の影響も少なからずあったと思う。

社会復帰するにあたり、ひたすらに自分に自信がなかった。

セミナーに行ったり勉強したり、三十も半ばにさしかかろうかという年齢で

私は人生で一番努力したんじゃないかと思う。

 

嬉しいことも、悲しいことも、人は時間が経てば記憶が薄れてってしまう。

仕事を始めたちょうどその頃、私は生まれて初めてジャニショへ行った。

一人で行くのは気が引けるけど、身近にNEWS友達もいない私はSMAP担の母を誘った。

Strawberryのグッズを買おうか・・・悩んで、ひとまず行ってみようということになったが

写真やグッズを前に、せっかく来たのに優柔不断に悩む私を見て(私は普段優柔不断とは無縁の性格なのですが)

「外野はもうすっかり忘れてるもんやで、好きなんやろ?買ったらええやん!」

と普段と様子の違う私の背中を、突き飛ばす勢いで押してくれた。

店内の平均年齢を明らかにものすごく引き上げていた私達母娘は、ジャニショで一番大きな紙袋をぶらさげて

「はずい///」と言いながら梅田の街をあとにした。

普段は性格もまったく違うし、喧嘩ばかりしてる母ですがこのときはとても心強かったし

やっぱりジャニオタの子はジャニオタ、と遺伝子に感謝したりもした。

 

始めた仕事は、最初こそ長いブランクに戸惑いがあったが、努力の甲斐あって

戦力になれたしとても充実していた。

久しぶりに新たな関係を人と築くと、世界が開けていく。

世界が開けていくと、単純なもので、心も開けていく。

Twitterにも少しずつ戻ることができた。

こんな私でも、声をかけてくれるフォロワーさんが何人もいて、ありがたかった。

きっと私に足りないものはアウトプットだったんだ。

考えることをやめるための「担降り宣言」は、かえって自分の吐き出し口をなくして

苦しめる結果になっていた。考えることなんて、ちっともやめられてなかった。

 

自分は自分のペースでやればいい。

そんな当たり前のことに気づくのに半年近くもかかった。

子供がいる以上、時間もお金もたくさんかけることはできないし

我慢しなくちゃいけない場面ももちろんある。

でもきっとこの状況じゃなきゃ、好きになっていなかったんじゃないかな。

限られた中で精一杯応援するために、家事をし仕事をし、頑張る。

有限な時間だからこそ、いらないものは切り捨てて行く。

悪口も言いたい人は言わせておけばいいし。

 

そんなこんなで挑んだENCOREは、思いがけない神席で否が応でも期待が高まった。

観るたび、今が一番最高だって思わせてくれるNEWSがそこにいた。

コンセプチュアルな世界観が、ドームという広い空間を使って宇宙に仕上がっていた。

こればっかりは、アリーナよりもドームのほうがいい!と思えた演出だった。

年末の怒涛の音楽番組もロクに追えず、そのたびファンである資格を自問自答していたけど

そんなもん気にしているのは自分だけで、好きだと思う瞬間が少しでもあるなら、もうそれでいい。

自分がしたいことだけをする、シンプルだけど難しいこと。

コンサート中の数時間はどんなもやもやした気持ちもなく、まっすぐに大好きで。

同じ時代を生きて、好きと思える人たちがいて、幸せを感じることができて。

長ったらしく書きましたが、今年はシンプルに、好きって気持ちがあるならそれでオーケー

(脳内の思考担当がシゲから祐也に変わった瞬間)

 

 

 

浮いたり沈んだり、めんどくさいやつ(自担に似て)ですが、ゆるっとまた仲良くしてもらえたらうれしいです。